源平討魔伝


(アーケード/ナムコ/アクション)



滅びし平家の怨み、忘れたわけではあるまいな
行け、そして頼朝を討て
入道相国の加護のあらんことを


俺の先祖は落ち武者か

寅次郎の先祖は平家だそうな。例によってさしたる根拠はない。自分の名字のルーツを探って得た情報と、親が昔「ウチの先祖は平家の落ち武者だったらしい」というこれまたどこから出来てきたのか極めて胡散臭い話を元にそう判断しているだけの事であって、初めから落ち武者ってどーいうことよ? というツッコミもしたいところだがとにかくも自分の先祖は平家の人間だったと思っている。さて平家といえば壇ノ浦の戦いで源義経によって滅ぼされたわけだが、無論平家の人ことごとくが壇ノ浦で滅亡したわけではなく、「平家に非ずんば人に非ず」と言い放った平清盛の弟平時忠などは生き残って余生を全うしていたりする。つーても能登に流されての流人生活だったが。当然平家の中にも生き残った人は大勢いるわけで、だからこそ寅次郎の一家が平家の子孫だなどという話になるわけなのだが今となってはそれを確かめる術もなく、またそれほどの関心もないというのが実状。というより昔の人達からして自分で勝手に先祖を決めて、デタラメな家系図を作っていたりするのだ。というのも当時は現代社会より遙かに、家柄というものが重視される時勢だった。当然有名な人物の子孫、という事になれば当人の能力以上の評価がなされることもあり、例えそのメッキがすぐに剥がれたとしても無名な人物を祖に持つ人よりは注目されやすいのもまた事実。例えば織田信長の子孫というと響きがいいが、その信長に桶狭間で討たれた今川義元の子孫というといまいちぱっとしない。実際に今川家の子孫の方にとっては失礼な物言いになってしまうのだが、やはり人は敗者より勝者になりたがるものである。昔の人達にしてみれば平氏よりも源氏を先祖に持った方が都合の良いことが多く、自称源氏が少なからずいたとこであろう。で、現代に生きる寅次郎にとっては先祖の家柄なんぞは何ら利益も不利益ももたらすものではなく、従って寅次郎の先祖は平家である、と胸を張って言える。とはいえあくまで自称なんだが。

ありがたや

例によって前置きが長くて申し訳ない。ただ敢えて上の文と結びつけるとすると、先祖が平家(自称)の寅次郎は主人公が平家の武者であるこのゲームが特に印象深いのです。といっても夢中でプレイしていた頃は先祖がどうとかは考えもしなかったんだけど.とはいえこのゲームの主人公である平景清という人はゲームの中でこそ地獄から甦ったという設定のせいか顔に凄いメイクを施しているが実在の人で、平家物語にもちょくちょく登場する武者なのだ。今地獄から甦ったと書いたが実際のゲームでのスタート地点は地獄から始まる。ここで並み居る魑魅魍魎を蹴散らして生者の世界に戻らなければならない。当然ここでやられると甦ることが出来ずに死者として本来の努めを全うするのみだ。だがここで無事地獄から脱出することが出来たならば、平家の滅びた壇ノ浦の側、長門の国に景清は復活する。そして甦った景清の目的はただ一つ、平家を滅ぼした源氏の棟梁源頼朝を討つことである。目指すは頼朝のいる鎌倉だ。

三つの鳥居

さてこのゲームの特徴の一つに横・平面・ビッグの三つからなる面構成が挙げられる。それぞれの画面の違いの方は下の画面写真を見てもらうと一目瞭然なのだが、やっぱりというかビッグモードの時が一番ゲームとしての見映えはよくて格好いいと思う。実のところゲーセンで遊んでいた当時は横モードと平面モードなんかいらないじゃんかと思っていたのだが、かといってビックモードだけの面構成というのはいろいろと不都合があるもんだなあ・・・・・・・と気付いたのはずっと後で、このゲームの続編が出てからの話である。ま、それはともかくこの三つの面構成の内、ビックモードはボスとの対戦時のみで横モードと平面モードは単に先に進む為だけに存在する。どのモードにも共通しているのは面をクリアするにはその面の奥にある鳥居をくぐらなければならない。ビックモードの時は一直線なので選択の余地はないのだが、横と平面モードの時はくぐる鳥居によって進むルートが変わってくる。例を挙げると景清のスタート地点とも言える長門の国では鳥居が上下に三つあり、それぞれ上から山陰・山陽・九州へと続く道となっている。当然そのルートによって面構成や難易度が変わってくるので自分に適したルートを選んだ方が無難なのだ。ちなみに寅次郎はいつも九州・豊前に上陸して四国ー近畿ルートでプレイしている。このルートが一番楽だと思うんだけど他の人はどうなんでしょ?

横モード平面モードビックモード

三人の中ボスとお釈迦様

まあどんなルートを選んでも結局最終目的地は同じである。一応ゲームクリアする為に必ず通らなければならない箇所はあるのだが、まずは気にせず進んでいこう。大体横モードでゲームが進み、その次の面はビックモードというパターンが続くだろう。そしてビックモードには中ボスが待ちかまえている。その中ボスとは源義経武蔵坊弁慶琵琶法師の三人。琵琶法師ってのはまあ置いとくとして義経なんてのは大体小説やらドラマやらで主役を張るような人物で、その義経に最後まで付き従った弁慶共々、悲劇の英雄とその忠臣という描かれ方をしているものが多いのだが、平家の武者が主人公であるこのゲームにおいては単に奇声を発して襲ってくる頭の悪そうな小冠者と鉄球振り回すしか能のないでくの坊に過ぎない。琵琶法師に関しては単なる邪魔者と言うだけで倒すことはできないから厳密に言うとボスではないのだがとりあえずビックモードに登場するのは上記の三名のみ。景清の体力を示すろうそくがたくさんある内はまず負けないでしょう。ちなみに義経も弁慶も頭を狙うと大ダメージを与えられるのでその点を踏まえて効率よく闘おう。

ああ、私の義経像が・・・・・・ナギナタ使えナギナタ祇園精舎の鐘の声~♪

で、それらの中ボスを撃破して先に進んでいくとボーナスステージに到達するかもしれない。これもルート次第なのだが、僕が選んでいる九州ー四国ルートだと淡路島でボーナスステージになります。ここではお釈迦様が景清の為に四つの玉を雨霰と降り注いでくれる。四つの玉の効果はというと、

緑の玉ー銭を増やす
青の玉ーろうそく(体力)を増やす
紫の玉ー剣力(攻撃力)を増やす
茶の玉ー体力の上限を増やす(最大でろうそく10本分)

てな感じです。何を置いてもまずは紫の玉を狙いましょう。剣力上げるとその後のゲーム展開が大分楽になります。ちなみにこの剣力は草薙剣を取るまでは堅い物斬ると下がってしまうので要注意。横モードで出てくる要石やムカデ、狛犬なんかが要注意。義経や弁慶の刀や防具などを斬っても下がります。剣力が0になると見た目も折れまがってしまって格好悪い上にえらく弱いので気をつけましょう。紫の玉はお釈迦様以外では、ボスを倒すと出てきたりビックモードの般若が持ってたりしますがあまり頻繁に出てくるもんじゃないから取り落としのないように。ちなみに横モードに出てくる巨大な剣は取ると剣力が5位上がるが、その代わりに銭が減ります。要するに買うのね。

オラオラ、拾え愚民

三種の神器

先ほどゲームクリアするには必ず通らなければならない箇所があると書いたのだが、より正確に言うとゲームクリアするために必要な三つのアイテムを取るために行かなければならない所がある。その三つのアイテムというのは三種の神器、歴代天皇が受け継いできた宝物ですな。これを揃えないことには頼朝に勝つことは不可能。何故不可能かはいまいちよくわからんのだがまーとにかく揃えておきなせえ。ちなみにこの三種の神器はそれぞれ特殊な効力がある。

八坂瓊曲玉 毒を無効にする
八咫鏡    雷を無効にする
草薙剣    剣力が下がらないようにする

なので持ってると何かと便利で・・・・・つーか必要なんだな、これは。ちなみに三種の神器があるのは八坂瓊曲玉が摂津或いは伊勢。八咫鏡が越前と越中。草薙剣が信濃。剣だけは信濃でしか手に入らないが、曲玉と鏡は一度取り逃しても別な国で入手できる。とはいえ伊勢(だったかな)の曲玉はえらい手に入れるのに苦労するのでなるべく摂津で手に入れるのが賢明。鏡はどっちでも楽だったような気が。

黄泉の国とだじゃれの国

さてさて。平家復讐絵巻と題打ったこのゲーム、全編を通してシリアスでちょっと暗めな雰囲気が漂っているのだが、そんな世界観を根底から覆すようなコミカルな面が存在する。それが黄泉の国とだじゃれの国。まずは黄泉の国なんだがここは本来死者が訪れる所、脱走同然とはいえとりあえず生の世界の住人となった景清にとっては縁がないどころかあまり近寄りたくない所なのだが、横モードでしばしばある穴に落ちると「うわあぁぁぁぁ・・・・・・・」という悲痛な叫びと共に舞台は黄泉の国へと移る。この国の奥深くにはやはりというかお約束の、閻魔大王・・・・・・・・・の巨大な顔面がいて景清に生と死のつづらを開けることを強要する。ここで「生」が出れば晴れて再び、生の世界に復活することが出来るのだが「死」が出れば文字通り景清に待っているのは死=ゲームオーバーである。いくらそれまでに三種の神器を揃え、剣力も最高の99まで上げて頼朝にさえたどり着ければものの数秒で刀の錆にできるという状態であっても、このつづらで「死」が出れば一巻の終わりである。とはいえこれまでの苦労をそんな博打じみた行為でふいにしたくない人にはちゃんと救済措置として生の世界直通の血の池が用意されている。この池に飛び込んでこれまで貯めた銭を(90以上だったかな)渡し守の婆に渡せばアナタは晴れて生者への道。ただ閻魔のつづらも血の池も、黄泉の国に行く回数が増える事に復活できる確率が下がっていくので要注意。まーつまるところ穴にさえ落ちなけりゃあどっちとも無縁でいられるのだが。なかなかそうもいかないんだよねえ。そしてもう一つのコミカルステージがだじゃれの国。こちらは三種の神器が置いてある摂津とか越中なんかが該当します。が、ステージ始まるや否や画面中に制作者の似顔絵と思われる顔が出てきて「だじゃれの国にようこそ」などとかましてくれるもんだから脱力感を覚えること必至、というか何なんだろうなあこれ。この妙なノリかなり好きなんだがどういった意図でこういうステージを用意したのか、制作者に割と本気で聞きたかったりする。で、だじゃれの国と言うくらいだから当然だじゃれの雨霰なのだがこれがまた揃いも揃って脱力系のネタばかり。一部紹介すると、

や(矢)はやだ(嫌だ)
まじん(魔神)はひまじん(暇人)
笑って頼朝(いいとも)

と、まあこんな感じである。ちいとも面白くない駄洒落ばかりなのだがこのゲームにしてこのセンスが何か妙な可笑しさを感じさせるということでなかなかいい演出だと思う。ちなみにこのだじゃれの国で人々の警告を無視して先に進もうとすると巨大頼朝がしゃもじで殴りかかってくる。ある意味こいつが一番笑えるかもしれない。

デカイ面しやがってー笑えと言うのか、笑えと鎌倉怪人巨大ヨリトモ

ただ春の夜の夢の如し

とうとう最終目的地鎌倉に到着である。特撮ヒーロー物なんかの最終回で見られるようなラスボスの追いつめられてるのにやたらと偉そうで空虚な前口上や主人公の熱い叫びといった演出はなく、代わりに「うわはははははは」という頼朝の変態ちっくな馬鹿笑いが景清を迎えてくれる。しかもすぐ目の前に頼朝はいるので問答無用で戦闘開始。といっても体力がよほど少なく、剣力がよほど低いという状態でなければ戦闘は景清が数回剣でつついただけで終わる。頼朝は攻撃力こそこれまでの敵の非ではないが倒すのにテクニックを要する相手ではないのだ。とにかく面がスタートしたらひたすら剣で斬りつけていけばいい。すると頼朝の姿が徐々に変わっていき最後には「我が魂は不滅じゃ」のセリフと共に滅びていく。やったぜエンディングだぁと喜ぶのもつかの間、その場でばったりと倒れそのまま息絶える景清・・・・・・・最初にこのエンディングを見た時は何が起こったのかまったく理解できなかった。だがその後に流れるメッセージの冒頭には確か「神は死んだ。悪魔は去った」というような事が書いてあったと思う。本来が死者である景清は目的を果たすや大急ぎでこの世を去っていったのだ。それに比べ頼朝はやはり滅びずに一時的にその場を離れたに過ぎなかったのだろうか? 苦労して迎えたエンディングでありながらも、どこかもの悲しく疑問の残るエンディングであった。この当時のゲームのエンディングでここまで印象的だったものは他になかった。

ふははははははは

諸行無常

といったところで果たして紹介と言えるのかどうかわからない文章をだらだらと書いてきたわけなんだが、こういうのはやはり百聞は一見にしかずって奴で実際にプレイしてもらうのが一番早い。幸いにもこの源平討魔伝は今でもプレイステーションのナムコミュージアムVol4を購入すればプレイする事ができるので、興味を持った方がいれば是非こちらの方でプレイしてみてはいかが? 今でも手軽にプレイできるレトロゲームの一本だ。ところでこのゲーム、地味ながらもアーケードに始まってファミコン、PCエンジン、X68000に移植された。当時のナムコのゲームの中でも結構評価が高かったように思う。X68000版は未プレイなのでなんとも言えないがPCエンジン版の移植度はかなりのものである。この移植度の高さが反響を呼んだのか、唯一PCエンジンでのみこのゲームの続編が発売されることになった。源平討魔伝巻ノ弐である。この巻ノ弐とファミコン版の源平討魔伝に関しては、機会があればいつか紹介したいと思っている。色々な意味で凄いんですわ、これは。

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