敵は本能寺にあり!


明智光秀が歴史の教科書に名を載せる事が決まった瞬間。

1582年6月2日、織田信長に命じられて中国の毛利氏を攻めていた羽柴秀吉の援軍に向かう途中だった光秀は途中にわかに進路を変え「我が敵は本能寺にあり!」と全軍に謀反の意志を表明して信長のいる本能寺を急襲、これを自害に追い込んだ。

彼のこの有名なセリフは後世にまで残り、何故かことわざ辞典などにも載るほどだが利用頻度で言えば、彼のこの後の短い余生を示した「三日天下」の方が高い。

そういう名のロックバンドも昔存在したらしいのだが、その名の通り三日で消えたんだろうか?





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