10月4日

午前8時00分。
昨日より30分も早く起きる羽目になってしまった直接の原因は中村警部からの電話であった。
だがそれを恨む気になどならなかったのは警部の話の内容が僕を驚かさずにはいられなかったからだ。

「横浜港でRX7に乗った石橋の死体が上がった」

「………自殺ですか?」

自分で聞いておきながらその可能性は低いと思った。よりにもよってあの石橋が………。
無論知り合って間もない石橋の事など詳しくは知らなかったが、自殺などするような男には
見えなかった。いずれにせよ現場に行って様子を見るべきだろう。



午前10時。横浜港に着いた僕は海から引き上げられたRX7を前に鑑識の林さんから
話を聞いていた。
それによると石橋の死亡推定時刻は一昨日の夕方から深夜にかけてとの事。
遺体は水に浸かっていたので正確にはわからないとの事だったが、おそらくそう誤差はないだろう。
諸尾殺しが石橋の仕業であるとすれば、諸尾の死んだ時間と照らし合わせてみても一応辻褄は合うが、
その場合石橋は諸尾を殺して間もなく自らも命を断ったことになる。不自然ではないか。
更に不自然だったのはその死因であり、海に車ごと飛び込んでの溺死ではなく、
後頭部の強い打撲が致命傷だという。海に飛び込んでからはほとんど水を飲んでおらず、
つまりそれ以前に意識を失っていた―――死んでいたというのだ。

不審な点は後を絶たない。石橋の車の走った地面にはブレーキの跡がなかった。
運転ミスなどで誤って海に飛び込んだというわけではなく、わざと突っ込んだ可能性が高い。
車自体が故障していて運転している人間の操作を受けつけなかったというのであれば
話は別だが、ブレーキやタイヤを含め、石橋のRX7にはどこも異常な点は見つからなかった。

「仏は運転席にいたのかね?」

「えぇ、運転席にいました。ハンドルが胸に付く程にシートが前に出されていて随分と窮屈そうでしたな」

「ほぅ………樫畠君、どう思うね?」

「後頭部の打撲で息絶えていた石橋が自分の意志で海に飛び込めるわけないですね」

これは言うまでもなく他殺だ。だが誰がどのような目的で行ったのかは、まだわからない。
僕と中村警部はその手がかりを求めて、パワーソフト社内にある石橋の部屋に向かった。



「なんだこりゃ。美沙子さんか」

富野社長に鍵を借りて石橋の部屋に入った途端、我々が目にしたのは部屋の壁に貼られた
美沙子の巨大なパネルだった。昨日訪ねた時にはこんなものはなかったはずだが………。

「芸能人のポスターならともかく、こんな個人的なものを壁に堂々と貼るというのはどうも………」

中村警部は理解に苦しむといった顔つきで壁に貼られた美沙子のパネルを眺めていた。

「そのパネル、取っておきましょう」

僕の言葉に中村警部はいよいよ理解できないといった顔をしたが、美沙子に見せて石橋との
関係を確認するのに用いると説明したので一応の納得はしてくれた。
しかしそれが手がかりになるかどうかはまだわからない。他に何かもっと有力な手がかりはないだろうか。

「………ん、これは領収書か。諸尾から石橋にあてたものだな」



「金百万円也………石橋は諸尾への借金を精算していたんだな」

石橋の不審な死から考えて彼が諸尾を殺したとは思っていなかったものの、
これで石橋が諸尾を殺す動機はなくなったようだ。もっとも、石橋本人も言っていたが
たかだが百万程度の金が殺しの動機になるとは元々考えにくかったが。
それからしばらく石橋の部屋を調べてみたが、他に手がかりとなりそうな物は見つからなかった。

石橋の部屋を出た僕と中村警部は美沙子を訪ねた。

「やだ………私のパネル? でも、どこかで見たような………」

石橋の部屋で見つけたパネルを美沙子に見せたときの反応がそれだ。
特に好きでもない男の部屋に自分の写真がパネルとして貼ってあればあまりいい気はしないだろう。
しかしどこかで見たということであれば、パネルの存在自体は知っていたのだろうか。
そう聞こうと思った矢先に、前回この部屋に来たときにはなかった物が視界に入った。

「そのタンスの脇の棚に置いてあるの………オルゴールですか」



「ああ、これですか? 以前石橋さんから頂いたオルゴールなんです」

社内の女性に片っ端から声をかけたという石橋である。巧みな話術だけではなく、
贈り物といった小細工も用いていたらしい。もっとも美沙子は石橋の話術に引っかからなかった。
美沙子はこの贈り物をあまり好んでいないらしく、少しの間借りたいとの僕の不躾な依頼に
あっさりと応じてくれた。結局美沙子は石橋には何の関心もなかったようだ。

「………で、そのオルゴールがどうかしたのかね?」

美沙子の部屋を後にした僕と中村警部はパワーソフト社内の通路を歩きながら、先刻借りた
オルゴールを鳴らしていた。流れてくる曲はまるで聴いたことのないものだったが美しい音色だった。
聴いているだけで心が落ち着いてくるが、別にそういった意図があって美沙子から借りたわけではなかった。
持ち主である美沙子はまるで興味を示さず、贈り主である石橋は既にこの世にはいない。
僕はこの一見して市販品とは思えないオルゴールの正体が知りたかった。
社内の人間に聞けば、例えば石橋がどこでこれを入手したかわかるかもしれない。
そう思って社内の人間に聞いて回ったが、もっとも親しい間柄だった慶子は恋人を失って
錯乱状態となっており、到底話を聞ける状態ではなく、他の者も何も知らず、また何の関心も示さなかった。
ただ一人、松丘順次だけは意外な反応を見せた。

「電子オルゴールじゃないですか。凄いな………箱も回路も全て手作りですよ、これ」

元々技術屋の松丘はオルゴールを見てしきりに感心していた。全て手作りということであれば、
相当な知識と技術が必要となるだろう。常識的に考えればこのオルゴールの贈り主は相当な知識と
技術の持ち主ということになる。もらい物をそのまま他人にプレゼントしたというなら話は別だが。
中村警部は気付かなかったようだが、これで一つの疑問が解けたことになる。

「ところで、イメルダのディスク、見つかりました?」

逆に松丘から問われて、中村警部は慌てて調査中と答えた。無論失念していたに違いない。
松丘にしても元々期待はしていなかったのだろう、別に落胆する様子は見せなかった。

「しかしあれだ、完成品のディスクといったってこれだけディスクの多い場所じゃそう簡単に見つからないだろう?」

ディスクの捜索依頼を綺麗に忘れていた中村警部は、言い訳とも開き直りともとれることを言った。
簡単に見つかるようなものなら、そもそも我々に捜索依頼などしないだろう。
しかしさすがに何の特徴もない(と思われる)ディスクを探すことは困難を極めるというものだ。

「そういえば前に調べていただいたこの黒いディスク、もう一度見てもらえませんかね?」

先日松丘に見てもらったときは、単にこれがイメルダの伝説のワークディスクであると聞いただけだった。
もっと詳しくディスクの内容を聞いておけば、何か手がかりがつかめるかもしれない。
専門家の松丘が見ても関心を示さなかった事から、過度の期待はできなかったが一応頼んでみた。
松丘は今走っているプログラムを落としたくないとの事だったが、ディスクの中に
何が入っているかだけは調べてくれた。

「中に入っているのは音楽を鳴らすプログラムですね。これだけしか入っていないみたいですよ」

「と、いうことはそのプラグラムを実行すれば何か音楽が鳴るわけですね」

殊更当たり前の事を聞いてみたのは、先刻のオルゴールの事が頭をよぎったからだが、
中村警部も松丘も特にそれ以上の関心は持たなかったようだ。
………まぁいいさ、このディスクはここでしか調べられない訳じゃない。

「そうだ、松丘さん。このオルゴールの曲、聴いてみてもらえませんか」

「………? 聴いたことないな。それなりにまとまってますけど、好みではありませんね」

このオルゴールを借りるとき、美沙子も同じ事を言っていた。好みではないと。
好みは人それぞれだから単なる偶然なのかもしれないが、この曲に何かあるのではないか。
彼らが好まない曲に僕は不思議と親しみを覚えていたが、その事は口には出さなかった………。
続く


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