10月7日

富野社長の逮捕後、僕は一人でパワーソフトを訪れていた。

今回の事件で社長や多くの社員を失ってしまったパワーソフトは、存続できなくなった。
そんなところに何をしに行くのか? 中村警部は怪訝に思ったようだが口に出しては何も言わなかった。
パワーソフトでは、残務処理で残っていた花枝が出迎えてくれた。

僕が美沙子に用があって来た旨を伝えると、

「あんな事件の直後だってのに………。まあ、いいわ、探してくるから待っていて」

と、半ば呆れたような表情をして僕の視界から消えていった。
彼女がどんな誤解をしているのか、今の僕にはまったく関心のないことだった。
僕の手元には今、西河の部屋にあった黒いフロッピーディスクと、美沙子から借りたオルゴールがある。
事件の解決に役に立つかと思い、証拠品として借り受けたものだが、結局これらは役には立たなかった。
だが、僕にはこの二つの品について、是非とも確認したいことがあったのだ。



西河が開発用に使っていた黒いフロッピーディスクには、ゲームのBGMと思われる曲が入っていた。
捜査の最中に一度聴いただけだったので当然聞き覚えなどあるはずもなかったのだが、後に美沙子から
オルゴールを借りた際、漠然とではあるがこの「聞き覚え」があったのである。

美沙子が石橋から貰ったと言っていたこのオルゴールに、何故西河のフロッピーと同じ曲が入っていたんだ?

「電子オルゴールじゃないですか。凄いな………箱も回路も全て手作りですよ、これ」

以前、松丘にこのオルゴールを見せた時の反応を思い出した。
相当な技術がなければ作ることができなかったそのオルゴールを、営業の石橋が作ったとは到底思えない。
黒いディスクに入っていた曲の事を考えれば、オルゴールを作ったのはおそらく西河に違いない。
しかし美沙子は、石橋から貰ったと言った───。



花枝に通された事務室で美沙子を待っている間、デスクの上に置かれたポストが目に止まった。
ポストといっても、厳密な郵便受ではなく、花枝が外から来た郵便物を整理前にまとめておく為のものだ。
中に便箋等入っていれば、ポストの側面についた旗が立つようなつくりになっている。
そして今、ポストには旗が立っていた。

手持ち無沙汰という事もあって、僕が興味本位で覗いたそのポストの中には、事件の真相があった。

ポストの中には一通のはがきがあった。
はがきの宛先は富野沙代子、差出人の名は井坂浩一郎とあった。
はがきには、井坂が沙代子に対して二年半前の事を詫び、もし許されるのであれば沙代子に会いたい
というメッセージが記されていた。そして、半年前に井坂が妻と別れたという事も。
そういえば沙代子が亡くなる直前、失恋をしていたという。このはがきの内容からすれば、その相手は
石橋ではなく、井坂浩一郎………イニシャルはK.Iだ。ブローチの送り主は石橋ではなく、井坂だったのだ。



思えばブローチもオルゴールも、それを見つけた時に側にいたのはいつも美沙子だった───。

なんということだ。僕はあの人にとって、次の階層に進む為の鍵でしかなかったのだ!

パワーソフトでの一連の事件を解決したという達成感のようなものは元々希薄だったが、この瞬間、
自分がただのコマでしかなかった事を、僕は思い知った。

花枝が戻ってきた。美沙子の姿は見受けられない。

「もうちょっとしたら来るからって。その間にお茶でもいれるわね」

「ああ、お気遣いなく。それより、ここの経理の書類を見せてもらえませんか?」

「非常識な要望ね。ま、どうせ潰れる会社だし、あなたも関係者みたいなもんだから………いいわよ」

僕がその書類に一通り目を通した頃、美沙子が事務室に姿を現した。


───口にしようとした思いは言葉にならず、やっと口から出た言葉はこれだけであった───


「美沙子さん………大事な話があります。城ヶ崎までつきあっていただけませんか」





全てが始まった城ヶ崎の崖の上に、今僕は美沙子と共にいる。

「………それで、どういったお話でしょうか?」

美沙子が当然とも思える質問をすると、僕は上着のポケットから件のオルゴールを取り出した。

「以前お借りしていた物をお返しします。西河からのプレゼントでしたよね」

「………………!」

美沙子は僕の発言に一瞬反応したかに見えたが、特に反論も訂正もせず、黙ってオルゴールを受け取った。

「先刻、パワーソフトに一通のはがきが届いていました。井坂浩一郎という人が、かつての恋人である
富野沙代子さん宛に送ったものでした。前に美沙子さんが見つけて、僕に見せてくれたあのブローチ、
てっきり石橋から沙代子さんに送られた物だと思っていましたが、どうやら違うようです」

「………それで?」

「富野社長は沙代子さんの死が失恋に基づいていると思い、その恋人に恨みを抱いていた。あのK.Iの
イニシャルが入ったブローチを見た富野社長は、それが石橋であると思いこむに至った」

「社内でK.Iなんてイニシャル、石橋さんしかいませんものね。父がそう思いこむのも仕方ないと思います。
でも、姉の交友関係をあんな小さな会社の中だけでしか考えられない父も、ちょっとどうかしてますよね」

美沙子の態度はあくまでも冷静であり、それでいて逮捕された富野社長を嘲笑しているかのようであった。

「他の人からもらったオルゴールを、石橋からもらったなどと嘘をついて煽るような人がいるもんですからね、
娘思いの富野社長なら無理からぬ事だと思いますよ」

「あのオルゴールは石橋さんから頂いた物です。どうして西河さんからと仰るのでしょう?」

「あのオルゴール全て手作りの品で、非常に手の込んだ作りになっているんですよ。故人を悪く言う
つもりはありませんが、石橋君にあれが作れたとは思えない。それに、あのオルゴールを良く見れば、
誰が誰に送った物かはすぐにわかるんですよ。残念な事に貴方はそうしなかったようですがね」

「………娘の私が父を陥れる理由は?」

「動機ですか。よくある話としては、そうですね、財産目当てなんてのがそうでしょう。今回の場合、
富野社長やその後を継ぐべき、西河・松丘といった人間がいなくなれば、娘の貴方が自由に会社を処分できる。
しかも貴方はパワーソフトの仕事を嫌っていた」

「確かに、その条件でしたら今の私に当てはまると思います。ですけど、根拠は薄弱極まりますね」

「今のはただの一例ですからね。いくらなんでも実の娘が親の財産を得る為に、親を殺人者に仕立て上げる
なんてのは現実的じゃない。実の家族なら、待っていれば財産を得る機会なんていくらでもあるのですから」

「樫畠さん、何が仰りたいんです?」

美沙子は依然として冷静を保っていたが、いつの間にか挑むような目つきで僕を睨んでいた。

「………捜査の最中、富野社長の亡くなった奥さんの話が出た事があった。輸血の際、O型の富野社長は
協力する事ができず、ひどく悲しんでいたと。その時、家族で輸血ができたのは、奥さんと同じ血液型の
美沙子さん、貴方だけだったそうですね」

「私がお話しした事ですよね? それは」

美沙子は冷たく言い放ったが、その返答こそ、次の話の前提条件であった。

「その時僕は貴方に、貴方の血液型を聞かなかった。その時は別に関心もなかったからですが、後に花枝さん
からまったく別な経緯で貴方の血液型を知る事ができました。美沙子さん、AB型なんですってね?」

「!」

初めて美沙子の表情に動揺の色が浮かんだ。してやったりと言いたいところだが、これに気付いた時には
既に事件は収束に向かいつつあり、少なくともここ数日で起きた悲惨な事件を予防する役には立たなかった。

「O型とAB型の両親からはAB型の子供は生まれない。つまり貴方は富野社長の実の子ではなかった」

美沙子は依然として僕を睨み付けていたが、何も答えなかった。

「美沙子さん、貴方は恐ろしい人だ。血の繋がりがないとはいえ、父親をああも冷たく利用できるとはね」

美沙子はため息をひとつすると、どこか吹っ切れた表情になった。あるいは開き直ったのかもしれない。

「あの人………元は不動産会社でかなりのやり手だったそうです。鬼とあだ名されるほどに」

今度は僕がしばらく相手の話を聴く番であった。

「あの人は、ある土地買収でかなり汚い手を使って買収を成功させた。そしてその為に元の土地の持ち主は
絶望して一家心中を図ったそうです。その時物心のつかない女の子一人だけが取り残されたそうです。あの人は
罪滅ぼしのつもりなのか、その女の子を引き取って育てることにしました。その子が事実を知ったのは高校生に
なってからの事でした」

罪もない一家を心中に追いやったことは、鬼と呼ばれた男もさすがに堪えたらしい。その後富野はそれまで
のような成果を仕事で挙げることができず、窓際に追いやられてしまったという。そんな折に松丘の提案を
受けて、パワーソフトを設立した富野は、新たな人生を歩み始めたのであった。

「あの人は、私が引き取られた子供だということを最後まで私に言ってくれなかった。それが私には許せなかった。
謝罪でも、自己弁護でもいい、何か一言私に直接話してくれていれば、私はあの人の娘でいられたのに」

崖の下の、波の音だけが聞こえる。今、この場には僕と美沙子しかいない。

「でもあの人は何もしなかった。自分が過去にしてきたことも言わず、私が実の娘でない事も言わず、
私を実の娘として育てようとした。それは偽善だわ」

「だから富野社長に復讐してやろうと仕組んだのかい?」

美沙子は答えず、口元に笑みを浮かべた。これまでに見せたことのない、不敵といっていい笑みだ。

「樫畠さん、貴方凄い人ね。私、この先父の資産を使って事業を興そうと思っているんですけど、どう、
私と組みません? 貴方のように頭のいい人となら、いい仕事ができそうだし」

「怖いんでね。やめときますよ」

僕は即答した。この判断は間違っていないと確信している。

「そう………それじゃ、これは処分しておいた方がよさそうね」

そういって美沙子は、先刻渡したオルゴールを崖の上から投げ捨てた。
黒いディスクとオルゴールの曲、そしてオルゴールの中身を調べれば、石橋からもらったという美沙子の
嘘を覆すことになりかねない。証拠隠滅は賢明な判断だろう。投げ捨てられたオルゴールは、海の底に沈み
誰の目にも届かないところに行ってしまったのだろう。僕にはもう、さしたる興味もない物だ。

「美沙子さん、まったく貴方の立てたプランの前には、僕も中村警部もただの操り人形みたいなものでしたが
しかし貴方にも致命的なミスがあります。先ほど貴方は父の資産を使って事業を興すつもりだと言ったが
パワーソフトは「イメルダの伝説」の開発に経費をかけすぎて倒産寸前なんですよ。仮に貴方が相続しても
事業を興すどころじゃないと思いますよ。「イメルダ」を完成させれば、まだ再建の可能性はあるでしょうが」

「それだったら………「イメルダ」はもうほとんど完成してるって、西河さんが言っていたわ。他社に
売り込む事だってできるはずよ」

「ええ、確かに。彼の遺作「イメルダの伝説」は完成してますよ。ただしパスワードを知らなければ未完成も
同様ですけどね。それもこれも社内の誰かが、会社の情報を他社に横流ししていたからですが」

「………まさか、そのパスワードを知っているのは、西河さんただ一人だったということ?」

「いえ、もう一人だけいます。西河がパスワードを託した人がね」

「だから………誰が知っているの?」

美沙子の声に焦りが含まれていた。そして僕は、西河の想いが報われなかった事を知った。
彼女は、西河の贈り物をよく見ることすらしなかったのだ。

「西河が身の回りで大切なパスワードを託せる相手といったら、愛を捧げた相手、貴方しかいないじゃないですか」

「! まさか………あのオルゴールに!」

パスワードがオルゴールの中に隠されていると悟った美沙子は、自分がオルゴールを投げ捨てた方向へ
駆け出し、柵ごしに遥か下方を覗き込んだ。自分が捨てたオルゴールを求めて。

「美沙子さん、おやめさない! 柵のそばは危険だ!」

その時だった。柵から身を乗り出すようにして、下を覗き込んでいた美沙子が体勢を崩したのは。
柵を越えた美沙子の体は、一瞬で僕の視界から消え、また元のかわりばえのしない景色に戻った。



崖の下に下りると、そこには予想したとおり美沙子の姿があった。
そしてそのすぐそばには、意外なことに西河のオルゴールがあった。
てっきり海の底に沈んだかと思っていたオルゴールが、砂浜に落ちていたのだ。
美沙子をこれを見つけたが為に、思わず身を乗り出してしまい、命を失ったのか。
あるいは、たまたまオルゴールのすぐ近くに美沙子が落ちたのか。

いずれにせよ、西河の執念がそうさせたような気がしてならない。

「これで………これで、本当に良かったのかい? 西河………」







殺意の階層 完


あとがき

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